【特集】「仙台空襲」経験した91歳女性 戦後79年の今、伝えたいこと
- 2024/7/11
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仙台空襲を経験 広瀬喜美子さん
「雨が降ってくるような音がするの。焼夷弾が途中まで束になってくるらしい。それがバラバラって雨のように降ってくる。それがバーンとばらける」
「雨が降ってくるような音がするの。焼夷弾が途中まで束になってくるらしい。それがバラバラって雨のように降ってくる。それがバーンとばらける」
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戦前の仙台市中心部の街並み
これは戦前の仙台市中心部の街並み。
古い建物に交じって西洋建築の商業ビルが目を引く。
現在の大町周辺にも多くの住宅が立ち並んでいた。
その近く広瀬川にかかる大橋は戦前からの姿のままいまも残されている。
当時、付近に暮らしていた、現在91歳の広瀬喜美子さんに話を聞いた。
仙台空襲を経験 広瀬喜美子さん
「自動車が並んでいる。あそこが私の家だった」
広瀬さんの自宅は川のほとりにあった。
「だんだん食べるものがなくなってくる」
太平洋戦争が始まったのは小学3年生の時だった。
仙台空襲を経験 広瀬喜美子さん
「だんだん食べるものがなくなってくる。当たり前のように。小学校4年生から甘いお菓子なんて食べたことない」
川を挟んだ川内地区には旧日本軍の第二師団司令部があった。
当時の仙台は「軍の都」女学生は軍需工場…
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