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戦後、戦争被災者が移り住みその後、住民の移転が行われた仙台市青葉区川内の追廻住宅で2月27日、最後の一軒が取り壊され、全ての住宅の撤去が完了しました。仙台の「戦後処理の象徴」とも言われる場所が大きな節目を迎えた形です。
記者リポート
「追廻住宅に残されていた最後の一軒の取り壊し作業が始まりました。これで戦後から70年以上にわたり続いてきた追廻住宅の歴史が幕を閉じます」
最後の1軒となった住宅の取り壊し作業は、27日午前11時ごろから始まりました。住民の60代の男性やその親族が立ち合う中、解体業者が重機を使いながら家の柱や屋根を次々に解体していきました。
終戦後の1946年、国が戦争被災者や引き揚げ者のために国有地に整備した青葉区川内の追廻住宅には最大でおよそ620戸、4000人が暮らしていました。一方、仙台市は追廻地区を含めた青葉山一帯を公園化する都市計画を決定し、1972年から住民の移転を求めて交渉を開始。2011年には、宮城野区に集団移転先の市営住宅が完成するなど世帯数は年々減少していました。
住民は4年前から60代の男性のみとなっていましたが、去年、仙台市の補償に応じたほか…
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