【仙台から消えた町・追廻1】「生まれ育った、私の原点」最後の1人まで…追廻に残った男性 (23/04/25 19:27)

https://www.youtube.com/watch?v=RgcToE_khvE

「全国都市緑化フェア」の会場となっている仙台市青葉区の追廻地区。この地にはかつて、最大4000人が暮らす、ひとつの町がありました。『仙台から消えた町』。その地を思い、生きてきた人々の姿をシリーズでお伝えします。初回は最後の1人になりながらも、追廻に残ることを選んだ男性の姿です。

仙台の中心部を流れる広瀬川に面した追廻地区。そこに残る、一軒の住宅。住宅を飲み込む樹木は対岸に建ち並ぶビル郡と、かけ離れた歴史をたどってきた証。今年2月、この場所で引っ越し作業に追われる男性の姿が。

佐々木昇さん
「1999年のもの。今見ると面白いかもしれません」
Q.市のパンフレット?
「23年前ですね」

65歳の佐々木昇さんは、この追廻地区で生まれ、この家で育ちました。追廻地区で、最後の1軒となった佐々木さんの住宅。窓から見えるのは工事車両や作業員の姿。かつて多くの人が泣き、笑い、支え合い暮らした情景ではなく、ひとつの町が消えようとしている風景です。

終戦翌年の1946年。国が戦争被災者などのため、応急住宅として国有地だったこの場所に整備した追廻住宅。最大でおよそ4000人が暮らしました。隣近所は全…

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